大阪地方裁判所 平成8年(ワ)172号 判決 1999年1月29日
原告
坂本勉
右訴訟代理人弁護士
河村武信
同
河原林昌樹
同
梅田章二
右訴訟復代理人弁護士
脇山拓
被告
株式会社髙島屋工作所
右代表者代表取締役
松村文夫
右訴訟代理人弁護士
夏住要一郎
同
田辺陽一
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一原告の請求
一 被告が平成七年四月一一日原告に対してした解雇が無効であることを確認する。
二 被告は、原告に対し、平成七年五月以降毎月二五日限り三九万円及びこれに対する各月二六日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
三 被告は、原告に対し、一五万円及びこれに対する平成七年六月一六日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
四 被告は、原告に対し、平成七年一二月以降毎年六月一五日限り及び一二月一五日限り各七五万円及びこれらに対する右各月一六日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、被告に解雇された原告が、右解雇は解雇権を濫用するもので無効であるとして、被告に対し、その無効であることの確認及び未払賃金等の支払を求めた事案である。なお、原告の求める未払賃金は、平成七年夏季賞与の未払分一五万円並びに平成七年五月以降の毎月の賃金及び年二回の賞与である。
一 前提事実(いずれも当事者間に争いのない事実又は掲記の証拠により容易に認められる事実である。)
1 被告は、資本金一三憶(ママ)円余りの家具の製造販売及びインテリアの設計施工等の事業を営む株式会社であり、平成五年一〇月当時従業員は六三〇名であった。
原告は、昭和四八年一一月一日被告に雇用され、平成元年四月以降家具販売事業部大阪販売部統括課に勤務していた従業員である。また、髙島屋工作所労働組合(以下「組合」という。)の組合員でもあった。
2 原告は、平成七年三月二八日、総務担当取締役横山彰(以下「横山取締役」という。)及び企画部長炭山義紀(以下「炭山」という。)から、口頭で退職勧告を受け、同年四月七日までに返事するように言われたが、原告はその場で右両名に対し退職の意思のないことを告げた。
3 被告は、平成七年四月一一日、原告に対し、原告を同日付けで解雇する旨通知し(以下「本件解雇」という。)、解雇通知書及び解雇に伴う附帯処置事項の二書面を原告に交付した。解雇通知書には、原告を労働協約三九条一項一号、六号、七号及び就業規則一〇〇条一項一号、六号、七号により解雇する旨記載されていた。
なお、被告の労働協約三九条一項は、「会社は、組合員が次の各号の一に該当する場合は、少なくとも三〇日前に予告するか、又は平均賃金の三〇日分を支払って解雇する。ただし、予告日数は一日について平均賃金を支払った場合においては、その日数だけ短縮することがある。」と定め、その一号に「技量又は能率が著しく低劣であって職務に適せず、配置転換も不可能で就業の見込みがないと認めたとき」、その六号に「やむを得ない会社の業務上の都合又は企業整備実施のとき」、その七号に「その他前各号に準ずる理由があるとき」との定めがある。
また、被告の就業規則一〇〇条一項は、「職員が次の各号の一に該当する場合は、少なくとも三〇日前に予告するか、又は平均賃金の三〇日分を支給して解雇する。ただし、予告の日数は一日につき平均賃金を支給したときはその日数だけ短縮することがある。」と定め、その一号に「技量又は能率が低劣であって職務に適せず、又は就業の見込みがないと認めたとき」、その六号に「やむを得ない会社の業務上の都合あるとき」、その七号に「その他前各号に準ずる理由のあるとき」との定めがある(<証拠略>)。
4 なお、原告は本件解雇が無効であるとして、平成七年四月二一日大阪地裁に地位保全等仮処分を申し立て、同年一二月二七日これが認容されたが、平成八年八月二一日右決定を取り消して原告の申立てを却下する旨の保全異議決定がされ、平成九年一一月二〇日、大阪高等裁判所において、右決定に対する保全抗告を棄却する旨の決定がされた(<証拠略>)。
5 原告の賃金は、毎月一〇日締め二五日払いであり、本件解雇当時の平均賃金は一か月三九万円であった。また、賞与は支給日が夏季六月一〇日、冬季一二月一〇日であり、原告に対し、平成六年度には夏季七七万四〇〇〇円(税引後七〇万九二三二円)、冬季八一万三七〇〇円(税引後七四万五六一一円)、平成七年度夏季には七〇万五二〇〇円(税金控除なし)が支払われた。
被告は原告に対し平成七年四月一一日以降賃金を支払っていない。
二 争点
本件の争点は、本件解雇の効力である。この点に関する当事者の主張は次のとおりである。
1 被告の主張
(一) 原告の勤務態度、勤務成績は以下のようなものであり、これは、労働協約三九条一項一号、七号及び就業規則一〇〇条一項一号、七号に該当する。
なお、原告の所為に照らせば、就業規則八五条二号、七号、一二号、一五号の懲戒解雇事由にも該当する可能性がある。
(1) 原告は、遅刻、早退、私用外出(以下「遅刻等」という。)が多い。その数は、平成四年一月から平成七年三月までの間に合計七四回に及び、これは、原告以外の全従業員の右期間における遅刻等の回数が、一人当たり五〇か月に一回程度であることと比較すると、異常に多い。
(2) 原告の職務分担は、同僚に比べて遥かに少ないにもかかわらず、新しい仕事や他の仕事の応援を指示されても拒否するなど勤務態度が悪い。また、伝票等の記載ミスを繰り返しながらもそれを注意する上司、同僚とトラブルを起こすなど、著しく協調性を欠き、職場における人間関係が極端に悪い。
さらに、後記のような社内外の機関に対する苦情申立や訴えの提起の準備のために多大な労力を裂(ママ)いている結果、勤務時間中にも労働協約や就業規則等を読んで時間を費やすなど、本来の業務は極めておろそかになっており、その結果、原告の成績は社内査定でもほとんど最低ランクに位置している。
(3) 原告は、あらゆる機会をとらえて職場における些細なことがらを問題視し、上司、本社、社長等に抗議するほか、苦情処理委員会や安全衛生委員会といった社内の機関、労基署や裁判所等の社外の機関にも訴えるなどし、その回数は、訴訟提起又は仮処分等の申立てだけでも昭和五九年以降平成六年までの間に九回に及び、社内への苦情申立は平成二年以降平成七年までの間に一五回に及んでいる。原告のこれらの苦情申立や訴訟等の提起は、その内容や数の多さを見れば、その目的は労働者の権利の回復というよりは独自の価値観に基づく信念を貫徹することにあり、そのことにより被告やその関係者にかける多大な負担にも全く意を払っていないのであり、権利の濫用であることは明らかである。また、原告は、これらの準備を執務時間内に多くの時間を費やして行っているのであり、著しく職務専念義務に違反している。
(二) また、本件解雇は、被告における組織変更に伴うやむを得ないもので、労働協約三九条一項六号、七号及び就業規則一〇〇条一項六号、七号に該当する。
すなわち、被告は、平成四年度以降、不景気によって業績が急激に悪化したため、平成五年以降新規採用を抑制(平成七年以降は中止)し、役員賞与を減少させるなどして人件費の削減を図り、さらに嘱託及びパートタイマーについては、いずれも平成七年八月末までには契約関係を終了することとするなどの対策を講じてきたが、さらに、平成七年四月一日付けで、特に赤字幅が大きい家具販売事業部の整理・再編を行うこととした。その結果、同事業部は廃止し、店頭部門及び特需部門を大阪事業所に移管するとともに、大阪販売部各課の事務部門は移管先である事業部において人員増加をすることなく吸収することとされたため、大阪販売部の事務部門に属していた原告ほか三名の従業員は余剰人員となった。右四名については、組合より正社員の解雇をできるだけ避けて欲しいとの要望があったため、被告は、その配置転換を検討したが、原告以外の三名については、いずれも配置転換が可能であったものの、原告については、前記のような勤務態度が社内において周知の事実であったため、大阪事業所のいずれの部門からも受入れを拒否され、配置転換を断念せざるを得なかった。
2 原告の主張
本件解雇には解雇理由がなく、仮に解雇理由が認められるとしても解雇権の濫用に当たり、本件解雇は無効である。
(一) 本件解雇の目的
被告は、原告が昭和五七年ころ親会社から天下った早崎常務と口論したことを契機に原告を疎んずるようになり、昭和五九年には、原告を退職に追い込むための嫌がらせとして、原告を横浜工場に配転したのを始め、その後も原告に仕事を与えず村八分的な対応をすることにより、原告を退職に追い込もうとしてきた。しかしながら、原告がこれに屈しなかったため、被告が、社内機構の改変を口実に原告を放遂しようとしたのが本件解雇である。
(二) 解雇理由の不存在
(1) 原告の遅刻等は月二回足らずであって解雇理由になるほど多いとはいえない。被告にはタイムカードはなく、遅刻等の把握は自主申告に任されていたから、他の従業員の遅刻等が五〇か月に一回程度であるというのは、客観的事実を反映したものとはいえない。また、原告の遅刻は、そのほとんどが腹痛によるやむを得ないものであり、その回数も平成四年から平成七年までの間に著しく減ってきている。
(2) 被告における商品の受注、発注は大半がコンピュータ管理されており、仮に伝票に記載ミスがあったとしても、入力の際にミスをチェックできる仕組みになっているから、業務に支障が生ずる事態は発生しない。また、原告の職務分担が少なかったということはない(なお、平成四年四月以前は原告の職務分担は少なかったが、これは原告を排除しようとする意図のもとにあえて原告に業務を与えようとしなかった被告に原因がある。)。さらに、原告と同僚との間にトラブルが発生したとしても、原告にのみその責任を負わせることはできないものである。
なお、原告の社内査定の評価が低いのは、被告が原告に業務を与えずに意図的に低い査定を導き出しているからに過ぎず、到底公正な評価の結果であるとはいえない。もっとも、原告は、特に評価が低かった平成二年度もCランクの評価を受けており(最低はDランクである。)、技量、能率が著しく低劣であったとはいえない。
(3) 原告の行っていた苦情申立は、いずれも労働協約に基づき適正に行われたものであり、内容的にも正当なものであるし、訴訟提起も、それ自体を非難することは許されないものである。また、これにより業務上の支障が生じたこともない。
(4) 被告は、六〇〇名以上の社員を擁する上場会社であるところ、今回原告以外の従業員を全く解雇しておらず、本件解雇が人員整理の一環であるとは到底認められない。また、被告は、平成七年三月期には純利益として約一億円を計上し、平成八年三月期には純利益として約一億三〇〇〇万円の計上を予定していたのであって、整理解雇を必要とするほどの経営危機に陥っていたとはいえない。また、本来配転は被告の責任において行うべきものであり、受入れ先が難色を示すというのは理由にならないし、被告は希望退職者を募るなど解雇回避のための努力も行っていない。したがって、本件解雇は、整理解雇の要件を満たしていない。
第三争点に対する当裁判所の判断
一 原告の勤務状況について
1 原告の担当事務
証拠(<証拠略>)及び弁論の全趣旨によれば、原告が被告大阪販売部統括課において担当していた主な事務は、<1>担当の得意先(家具専門店)から電話、ファックスで注文を受け、受注メモ及び得意先によっては専用納品伝票を作成する、<2>仕入先メーカーに対する注文書を起票してファックスし、商品を発注する、<3>受注後に商品、個数、納品日等に変更が生じた場合には、業務連絡表を起票し、コンピュータ処理に回付する、といったもので、その他、<4>必要に応じ社内外の関係先と電話等で連絡したり、<5>販売部にかかってくる電話の取次等を行っていたこと、原告は、右目の疾患(右目黄斑円孔)を抱えていたため、本人の希望により、コンピュータを使用する業務は免除されていたことが認められる。
2 遅刻等について
(一) 証拠(<証拠略>)によれば、原告の遅刻等の回数は、平成四年が二九回(すべて遅刻)、平成五年が二三回(遅刻一九回、私用外出四回)、平成六年が一六回(遅刻九回、私用外出五回、早退二回)、平成七年(ただし、三月まで)が六回(早退四回、私用外出二回)であること、遅刻の理由の大部分は腹痛又は自己都合であること、これに対し、原告を除く被告の他の従業員の遅刻等の回数は、平成四年が八四回、平成五年が一二四回、平成六年が一四六回、平成七年(ただし、三月まで)が五九回であること、原告を除く被告従業員の平成四年から平成七年までの一か月あたりの遅刻等の回数が、一人平均〇・〇二回であるのに対し、原告のそれは一・九回であって、際だって多いことが認められる。
(二) また、証拠(<証拠・人証略>)によれば、原告の遅刻及び私用外出に関し、次のような事実があったことが認められる。
(1) 平成四年一一月七日、原告が前日遅刻をしたことについての遅刻届を直属の上司である北ノ原昭継課長(以下「北ノ原」という。)に提出した際、遅刻の理由欄に「自己都合」とのみ記載されていたので、同課長が理由をきちんと記載するよう指示したところ、原告は、「自己都合で何が悪い。本社に理由が必要かどうか確認する。」といってこれに従わず、本社人事課に対し、憲法三八条を引用したうえで「仮に就業規則で遅刻の届出に理由を書くよう要求してもそれは通りません。就業規則第二五条中「所定の手続き」の中に理由の記載が必要との解釈は憲法上不可能です。」と記載した書面を提出した。そして、本社人事課から遅刻届には理由を明確に記載する必要がある旨の通知を受けると、本社人事部の森部長に対し、「遅刻の場合は遅刻届を出すことが所定の手続きであり、その中に理由を記載する義務はないし、その旨の規定もありません。これ以上不当な越権行為をしいやがらせを続けるのであれば検察庁に告訴します。これは最後通告です。」等と記載した「警告書」と題する書面を提出し、さらに重ねて理由の記載を命じられると、森部長に対し、「問題は貴方の頑固さだけであり他には何も問題はありません。」等と記載した書面を提出し、あくまで遅刻届に理由を記載することを拒否し続けた。
(2) 原告は、平成五年五月二七日及び二八日に連続して遅刻したが、それらについての遅刻届を二八日に北ノ原に提出した際、翌日である五月二九日についても遅刻が予測されるとして、あらかじめ一五分間の遅刻届を提出した。
(3) 原告は、平成六年一一月ころ、動静表に「髙島屋大阪店他」と記載して外出していたため、原告の直属の上司である統括専任職の中山忠実(以下「中山」という。)が、原告の帰社後「今後外出の際は要件と行き先を伝えてから行くように。」と注意したところ、原告は、「動静表に記入するだけでは外出は認められないのか。」「お前にいちいちなんで許可を得んならんねん。」等と反論し、「お前では話にならん。」と述べて中山の指示を無視した。原告は、その後も離席、外出の際中山に許可を求めることは全くしなかった。
(4) 平成七年三月一一日、原告が、勤務時間中に、散髪をするため外出届を出して外出しようとしたのに対し、中山が、散髪のための外出は認められないとしてこれを許可しない旨述べたところ、原告は、「散髪が認められないという決定はいつあったのか。就業規則に記載されているのか。」等と大声で述べてこれに反発し、「私用外出扱いでよいから賃金カットでも何でもしろ。」と言って中山の指示を無視して散髪のため外出した。
原告は、同日午後、横山取締役及び本社人事庶務チームの小野木課長(以下「小野木」という。)の机の上に、「就業規則に基いて行動しているのに、あたかも就業規則を無視して勝手に行動している如くに大声で叫ぶのは名誉毀損に該当します。適正な処分をお願いします。」等と記載し、中山を非難する内容の書面を置いたうえ、当日は気分が悪いとして早退した。
(三) 以上によれば、原告は、その遅刻等の回数が他の従業員に比して非常に多く、その理由も真にやむを得ないものであったのか疑わしいうえ、右に述べたような上司等に対する対応及び(証拠略)(仮処分事件の審尋における原告の供述)に照らせば、原告は、遅刻や私用外出が多いことについて、他の従業員等に迷惑をかけ申し訳ないとの意識が全くないばかりか、賃金カットさえ受ければ遅刻や私用外出は従業員の自由ないしは権利であるとさえ考えていたことが窺われるのであり、原告には、誠実に業務を遂行しようとする意欲が著しく欠けていたというほかはない。確かに、原告の遅刻の回数は平成六年以降減少しているけれども、平成七年三月一一日の私用外出を巡る原告の言動を見る限り、これが原告の反省や職務に対する意欲の改善等によるものとは考えられない。
また、右認定にかかる原告の上司に対する対応を見ると、原告は、上司の当然の指示であっても、独自の理論を振りかざし、合理的理由もなくこれを無視し、あまつさえ上司を誹謗するような文書を本社に送付するなどしているのであって、原告には、上司の指揮命令に従って誠実に業務を遂行しようとする態度が全く欠けていることが認められる。原告は、その陳述書において、中山は管理職ではなく、外出について同人の許可を得るべき根拠はない旨述べるが、(証拠・人証略)によれば、中山は、統括専任職であって課長職ではないが、統括課のリーダーとして管理職としての権限を与えられており、その旨は原告にも知らされていたことが認められるから、原告が外出の際に中山の許可を得るべきことは当然であって、これを中山が課長でないことを理由に拒み続ける原告の対応は、全く不合理なものというほかはない。
3 原告の勤務態度について
(一) 証拠(<証拠・人証略>)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。
(1) 原告の担当業務量は、統括課における他の従業員と比べると少なかったにもかかわらず、平成四年一二月ころ、北ノ原が原告に対し、従来の担当業務よりもよりレベルの高い業務として、収支表の管理等の経理的な仕事をするよう指示したところ、原告は、「集計するだけの仕事はしたくない。」としてこれを拒否した。また、同月一〇日、北ノ原が、同月一二日に行われる小売部門の家具売場の店頭催しセールへの応援を指示したところ、原告は、「忙しい。」としてこれを拒否しながら、同月一二日当日、催しセール会場において、応援するでもなく、サンダル履きでぶらぶら見て回るなどしていた。
このように、原告は、自らの担当業務はそれなりにこなしていたものの、上司から新たな業務を命じられたり、他の部署から応援を求められたりした場合には、忙しい等としてこれを拒絶することがあった。
(2) 原告は、月に二、三度は伝票の起票ミスや回付忘れ等のミスをしていたが、ミスを同僚に指摘されても、ミスを否定するか、又はミスを認める場合でも「人間なら誰でもミスがある。」と開き直り、反省することがなかった。
そして、平成六年五月ころには、原告が得意先から注文を受けた商品に関し、配送センターに指令が届いておらず、指定日に納品できなかったことがあり、原告による伝票の回付忘れが疑われたが、その際、原告の卓上ケースから伝票が発見されたにもかかわらず、「誰かが私を陥れるために意図的に入れた。」等と弁解し、大阪販売部販売第二課長七々瀬政美(以下「七々瀬」という。)に対し、「お前が入れたんやろ。」と暴言を吐いて北ノ原から強くたしなめられたことがあった。
また、原告は、平成六年一一月ころ、同僚の牧野由喜子(以下「牧野」という。)が、原告が回付した業務連絡表に関し、商品の変更処理が済んでいるかどうか確認した際、牧野に対し、「俺は何も間違ったことをしていない。間違ったことがあるというのなら、証拠を出せ。」と大声で怒鳴り、牧野と口論となったことがあった。
(3) 原告は、自己主張の強い性格であり、他人の意見が自分の考えと異なるときには、それがたとえ上司の業務命令であっても、これに従わずに自分の考えを押し通せばよいと考えており、また、考えの異なる相手に対しては、大声で罵倒することも必要であり、大声で怒鳴りあうことによってむしろ理解が深まって好ましいとの考えを有している。そして、上司が原告の挑む議論に応じず引き下がるのは、部下との議論を避けて逃げているからであり、上司としての資質に欠けることを示すものだと考えている。
原告は、右のような考えを実行に移していたため、しばしば上司に反抗し、同僚との間でも口論が絶えなかった。そして、このような原告の態度が原因で、販売部内においては、原告がミスをしても次第にこれを指摘しなくなったばかりか、できるだけ原告を経由することなく、営業担当者が直接処理するようになった。また、原告の上司は、原告の勤務態度等について注意すると必ず口論になるため、他の従業員の業務への影響や職場の雰囲気を考え、原告に対する注意や指示は控える傾向にあった。
(二) 以上によれば、原告は、上司の業務命令であっても自らの考えに照らし不合理なものであれば従う必要はなく、その場合には上司を大声で罵倒しても良いと考えており、現実にもそのように振る舞い、また、意見が合わない同僚とは大声で怒鳴りあうことにより理解が深まるとの特異な考えに基づき、同僚と意見が異なった場合には相手を大声で罵倒するような行動に出ていたのであり、その結果、上司は原告に対する指示や注意を控えるようになり、同僚も原告を避けるようになって、業務の円滑な遂行に支障が生じていたことが認められる。これらの事実に照らせば、原告は、上司の指揮命令に従って業務を遂行しようとする意識ないしは同僚と協調して職務を遂行しようとする意識に著しく欠けていたことが明らかである。
そして、原告の上司に対する反抗が、たまたまある特定の上司と相性が悪かったという程度のものでなく、原告の協調性の欠如から来る恒常的なものであることは、平成元年以降原告の上司となった七々瀬、北ノ原、中山とことごとく対立していること(このことは、右認定の事実のほか、前記2及び後記4に認定する事実並びに弁論の全趣旨によって認められる。)から明らかである。
なお、被告は、原告の仕事上のミスが他の従業員に比して多かったとも主張するが、他の従業員とミスの頻度を比較する的確な資料はないし、また、証拠(<証拠略>)によれば、被告が指摘する業務上の支障がすべて原告のミスによるものであるとも断定できないというべきであるから、この点に関する被告の主張は理由がない。
4 苦情申立て、訴訟の提起等について
(一) 証拠(<証拠略>)及び弁論の全趣旨を総合すれば、原告は、前記2に記載したものを除き、以下のような苦情の申立てや訴訟の提起等を行ったことが認められる。
(1) 原告は、昭和五九年一二月八日、被告の本社企画部(大阪)から東京事業所横浜工場への配転命令(同月一日付け)が無効なものであるとして、大阪地裁に対し仮処分を申し立てたが、昭和六〇年五月に和解が成立し、被告は、原告を本社企画部に再配転した。
(2) 原告は、昭和六三年ころ、右目黄斑円孔に罹患して右目の視力が著しく低下するようになったが、企画部の業務が目に負担をかけることの多い業務であるとして、他の部署への配転を希望したところ、被告から大阪販売部統括課への配転を提案されてこれに同意し、平成元年四月同課へ配転された。しかしながら、その直後、原告は、右配転には業務上の必要性及び人選の合理性が存在しなかったとして、企画部への再配転を求め、これを拒絶されると、大阪地裁に仮処分の申立てをし、これが却下されると、さらに配転無効確認の訴えを提起したが、右訴えは、一審、控訴審及び上告審においていずれも原告の敗訴で終わった。
なお、原告は、右仮処分申請事件において被告が提出した報告書の内容が原告の名誉を毀損するものであるとして、平成元年から平成二年にかけ、被告に対し謝罪文を求める訴えを二度にわたり大阪地裁に提起したが、右訴えはいずれも原告が敗訴した。
さらに、原告は、平成二年、被告に対し、業務内容の変更、配置の転換等の具体的措置の提示ないしはその協議を求める訴えを提起したが、一審、控訴審ともに原告が敗訴した。
(3) 原告は、平成二年九、一〇月ころ、被告においてゴルフコンペを競馬に見立てた賭博行為が行われていたことについて、被告社長及び親会社である株式会社髙島屋(以下「髙島屋」という。)の社長に対し、これをやめさせるよう求める書面を提出した。その結果、被告においてはゴルフコンペに関する賭博が禁止された。
(4) 原告は、平成四年、被告に対し、時間外勤務割増賃金の支払を求めて大阪簡易裁判所に提訴したが、敗訴した。右判決は、控訴審でも維持された。
(5) 原告は、平成四年八月ころ、社内における喫煙に何らかの制限を設けるよう求め、労働協約六八条に基づく苦情申立てを行った。これについては、苦情処理委員会が開催され、申立てが却下されたが、その後安全衛生委員会において議論がされ、午前中の禁煙措置が執られるようになった。
(6) 原告は、平成四年一〇月ころ、労働基準監督署に対し、被告において休日出勤手当の未払がある旨申告した。これがきっかけとなり、被告は従業員に対し、過去の未払休日出勤手当を追加支給した。
(7) 原告は、平成五年五月ころ、大阪販売部統括課において勤務していた派遣社員を引き上げる旨の決定がされたことに対し、現在の業務で手一杯であるとしてこれに反対し、北ノ原や大阪販売部長中西直(以下「中西」という。)ら上司に対し、抗議の文書を提出した。これらの文書には、次のような記載がある。
「建設的意見の具申を封殺しようとする上司の下では業務を遂行することは不可能です。」
「人の価値観は多様であり、価値観に関してはこれがいいとか悪いとか言うことはできない。今回の場合も、結局は価値観の対立であり、それは、言って見れば次のようなものです。
A・業務内容が相当しんどくなっても少人数でそれをこなし、結果として賞与が増える方がよい。B・賞与が多少増えるより、ゆとりを持って業務に当たれる方がよい。
今回の場合、統括課のスタッフがどのような価値観を持っているかについては一切おかまいなしに北ノ原氏が自己の価値観を一方的に押付けようとするものです。」
また、原告は、同月二九日には、「貴方のようにゼニ、カネ第一主義、ソロバン勘定だけで人情味のないような人にはついていけません。借りたものは返します。」と記載された書面を北ノ原の自宅に郵送した。
(8) 原告は、平成五年一二月ころ、人事課長に宛て、遅刻、早退時の賃金減額が過剰であり、これは労基法に違反する旨記載された文書を提出した。また、原告は、髙島屋の人事課長にも同趣旨の文書を送付し、被告を指導するよう申し立てた。
(9) 原告は、平成五年一二月ころ、大阪販売部の内線電話が不足しているので対策を講じられたい旨及び休日や出勤時間の取扱いが不合理である旨記載された文書を、本社の出岡啓一人事課長(以下「出岡」という。)宛てに提出したが、右文書に対する回答がなかったことから、平成六年一月ころ、小野木に対し、「責任ある回答がもらえない以上、苦情処理委員会へ提訴することになります。責任ある回答とはYesかNoかをハッキリすること、Yesならその期限、Noならその理由を明確にすることです。」と記載された文書を提出した。
また、同年二月、内線電話の不足について労働組合規約苦情処理細則第二条第三項に基づく苦情の申立てをした。
(10) 原告は、平成六年二月、コンピュータシステム変更についての説明会から原告が排除されたとして、労働協約六八条に基づく苦情申立てにより、文書による謝罪等を求めた。
(11) 原告は、平成六年四月、被告社内における郵便物取扱方法が変更されたことにつき、その変更が不合理であるとして、上司に対し抗議の文書を提出し、同年五月には、従来どおりの方法によるべきことを要求して労働協約六八条に基づく苦情申立てをした。
なお、右苦情申立てについては、中西において、郵便物取扱方法に関する指示が上司の職務権限の範囲内のものであることを理由にこれを取り上げないこととする旨の通知をしたところ、原告は、これに反発し、同年六月、苦情処理委員会を招集しないことは不法行為に当たるとして、大阪地方裁判所に対し、一〇万円の慰謝料の支払を求めて提訴したが、同裁判所は、平成七年七月二六日、右訴えを棄却する旨の判決をし、原告の控訴も平成八年一月二五日棄却され、右判決は確定した。
(12) 原告は、平成七年二月一四日、販売部のカタログ置き場にカーテンを張るよう小野木に申し入れたが何らの返答がないとして、これは就業規則違反であり、このまま返答がなければ個人でカーテンを張り、費用は裁判所に支払命令を申し立てる旨記載した書面を、横山取締役に対し郵送した。また、同月二四日には、いまだに解決方法が示されないとして、被告の松村社長に対し、「このような具合ですからまた苦情処理委員会への提訴さらには訴訟へと発展していくのではないでしょうか。」と記載された手紙を差し出した。
(13) 原告は、平成七年二月二四日、プリンターの音がうるさいので対策を講じられたい旨の文書を、組合の安全衛生委員宛に提出した。
(二) また、証拠(<証拠略>)によれば、原告は、社内における苦情申立ては業務の一環であるとの立場から、就業時間内に苦情申立てのための文書を作成したり、就業規則や六法全書を読んだりしていることが多かったこと、原告は、このことを当然だと考えていることが認められる。
(三) 以上によれば、原告の苦情申立て等は、ゴルフコンペを巡る賭博の問題、時間外勤務手当の問題、喫煙の制限の問題等、その内容が正当なもので、かつ、かかる手段に訴えることも、企業の従業員として非難されるべきものではないものも少なくないけれども、内線電話の件、郵便物取扱いの件、カタログ置き場のカーテンの件、プリンタの騒音の件など、仮に不満があるのであれば職場内で相談すれば足りる些細な事項について、職場の同僚と協議することもなく、自らの価値基準のみに従って、直接上級の上司や役員、社長等に文書で申し出るなどし、その結果職場内に混乱をもたらしているものも多く見られる。また、原告は、派遣社員の雇い止めに関する問題や郵便物取扱方法の変更のように、被告ないし上司が決定すれば、従業員はこれに従うべき内容の事柄に関しても、これが自らの考えに沿わない場合には、右決定に従おうとせず、さらに上級の上司や社長等に苦情を申し立て、あくまで自らの価値基準に従った取扱いを求めるという行動に出、時には上司を侮辱するような内容の書面を送ったりもしている。さらに、原告は、これら必ずしも当を得ているとは考えられない苦情申立てのための書面等を作成することも、業務の一環であるとして、これを勤務時間中に行っていた。
かかる原告の所為は、いささか限度を超えたものといわざるを得ず、そこには、自らの価値基準のみに従い、自らが不合理であると考えれば他人の意見や迷惑を顧みることなく直ちに行動に移し、これが思い通りに解決しないと裁判も含めたあらゆる手段を講じてでもこれを実現させようとする態度が窺われるのであって、これは、業務命令に従って誠実に業務を遂行しようとする意識ないしは他の従業員と協調して業務を遂行しようとする意識に欠ける原告の協調性の欠如を示すものということができる。
なお、原告は、かかる手段に訴えたのは、職場内で問題を提起しても無視され解決しないからであるとするが、原告が同僚や直属の上司と真剣に問題を検討した形跡は見られない。また、仮に原告が問題提起をしても他の従業員が取り合わなかったという傾向が見られたとしても、それは、自らの考えと意見の異なる者に対しては大声で罵倒すべきであるとの特異な考えを有していた原告の態度こそが原因であったというべきである。
5 原告の勤務成績について
証拠(<証拠略>)によれば、次の事実が認められる。
(一) 被告における考課査定は、成績考課と情意考課からなり、原告の担当職務の場合、成績考課として業務達成度二〇点、仕事の質(正確度・速度)二〇点、改善推進度一〇点、情意考課として協調性(協調度)一五点、規律性(勤務態度)一五点、積極性(熱意度)二〇点の配点で行われ、さらに、欠勤、遅刻、早退及び私用外出の頻度が減点要素となっている。
(二) 原告の考課査定の成績は、平成二年度から平成六年度までの半期ごとの計一〇回の評定において、全従業員中、最低に位置づけられたことが五回、最低より二人目に位置づけられたことが五回であった。
二 本件解雇に至る経緯について
証拠(<証拠略>)によれば、次の事実が認められる。
1 被告の業績は、バブル崩壊による景気後退の影響で、平成四年度以降急激に悪化したため、被告は、平成五年以降は新規採用を抑制し、平成七年には新規採用を停止したのを始め、平成七年八月末までには、嘱託及びパートタイム従業員は全員雇い止めするなど、人員削減による経費削減を進めた。
2 被告は、業績悪化に伴う事業の見直しの一環として、赤字が慢性化していた家具販売事業の見直しを行い、家具販売事業部の整理、再編を平成七年四月一日から実施することを計画した。
そのうち、大阪販売部に関する内容は、次のとおりである。
(一) 大阪販売部販売第一課が担当していた店頭部門及び同第三課が担当していた特需部門をそれぞれ大阪事業所に移管する。
(二) 大阪販売部販売第二課が担当していた卸売部門及び同商品管理課が担当していた開発商品の生産、生産管理、外注管理、商品管理業務は、子会社であるティーケイファニチュアに移管する。
(三) 大阪事業所へ移管する右各課の事務を担当していた部門(統括課)の業務は大阪事業所総務部へ移管する。
(四) 大阪販売部名古屋地区の業務を名古屋出張所へ移管する。
3 被告は、右計画に従い、大阪販売部所属の従業員のうち、事務職種以外の部門の従業員は、全員移管先部門に配転又は出向させることとしたが、事務部門については、移管先の大阪事業所総務部において人員増加をすることなく吸収可能であったため、統括課に所属していた中山、冨尾、牧野及び原告の四名は余剰人員となった。
4 そこで、被告は、平成七年三月、組合に対し、右計画案及び原告ら四名が余剰人員となるため解雇もあり得る旨説明したところ、組合は、従業員の解雇は避けるよう要望した。そこで、被告は、右四名の配転を検討した結果、中山は大阪事業所店頭販売部門へ、冨尾は大阪事業所特需部門へ、牧野は大阪事業所大阪工場事務統括部門へそれぞれ配転することとしたが、原告については、協調性が著しく欠け、上司や同僚と終始トラブルを引き起こしていることを理由に、いずれの部門からも受入に難色が示されたため、配転を断念した。
5 被告は、組合に対し、前記四名のうち、三名は配転可能であるが、原告については配転が不可能であり、退職勧奨をし、これに応じなければ解雇する旨説明したところ、組合は、原告の解雇に同意する旨回答した。
6 被告は、平成七年三月二八日、横山取締役及び炭山において、原告に対し、配転を受け入れる職場がないことを説明し、選択定年制による任意退職を勧め、同年四月七日までに返事をするよう通知したところ、原告は、即座に退職を拒否する旨を明らかにし、横山取締役に対しては、「退職拒否解答書」なる書面を提出した。
そこで、被告は、同年四月一一日原告に対し解雇通知書を交付して解雇の意思表示をし、解雇予告手当及び退職金計八二一万六〇〇〇円を支払う旨伝えたが、原告がこれらの受領を拒否したため、被告は、右全額を供託した。
三 本件解雇の効力
1 以上を総合すると、原告には、上司の指揮命令に従って誠実に業務を遂行しようとする意識ないしは同僚と協調して業務を遂行しようとする意識に著しく欠けていたことが認められるのであって、その程度は、業務の円滑な遂行に支障をきたすほどのものであったというべきである。そして、これらの事実は、原告が、協調性を欠くのみならず、職業人ないし組織人としての自覚に著しく欠けることを示すものであり、従業員としての適格性がないものと評価されてもやむを得ないと考えられる。そして、かかる状況に鑑みれば、原告の配転が困難であったことも首肯することができる。
さらに、原告の勤務成績は、過去五年間で、全従業員の中で最低又は最低から二人目であって、著しく低く、前記認定にかかる原告の勤務状況に照らせば、右評定が不合理なものであるともいえない。
これらの事実に、前記二のとおり、被告の業績悪化に伴う赤字部門の整理統合により、原告が所属していた大阪販売部が廃止され、その事務部門に所属していた原告が余剰人員となったことを併せ考慮すれば、原告には、労働協約三九条一項一号、六号及び就業規則一〇〇条一項一号、六号に準ずる事由があるというべきであるから、労働協約三九条一項七号及び就業規則一〇〇条一項七号所定の解雇理由が認められる。そして、組合も原告の解雇をやむを得ないものとして同意していることにも照らせば、本件解雇は、合理的なもので、これが著しく社会的相当性を欠き解雇権を濫用するものであるとはいえないというべきである。
2 これに対し、原告は、本件解雇が、原告が昭和五七年ころ早崎常務に反抗したことに端を発する被告による原告の差別、排斥の結果であって、解雇権の濫用であると主張する。しかし、被告がかかる意図に基づいて本件解雇を行ったことを認めるに足りる証拠はない(なお、<証拠略>によれば、原告は、原告に対する差別、排斥行動の嚆矢であるとする横浜工場への配転の効力を争って提起した仮処分事件において、早崎常務との対立について何ら触れていないのであって、原告自身右配転が早崎常務との対立が原因であるとの認識を有していたかどうか疑問である。)。結局のところ、仮に原告が上司や他の従業員から遠ざけられ、疎んぜられていたことがあったとしても、それは、前述したような原告の著しく協調性に欠ける勤務態度によるものであったと推認すべきである。
四 結論
以上の次第で、本件解雇は有効であるから、原告の請求は棄却することとする。
(裁判官 谷口安史)